ハリソン・フォードと言えば、ハリウッドスターの中でも飛びぬけた存在です。
しかし若い頃は、あまりパッとしない俳優で、副業に大工をしていました!
そんなハリソン・フォードの若い頃を振り返ってみましょう。
ぜひ、最後までご覧ください。
ハリソン・フォードは若い頃、いじめられっ子だった
❤❤❤ pic.twitter.com/Qz1mxC0mmC
— Asia (@Shinall17) May 16, 2017
ハリソン・フォードは1942年7月13日にイリノイ州のシカゴで生まれました。
母親はラジオの声優で、父親は俳優やラジオの声優。
のちに広告会社の重役になりました。
ハリソン・フォードは、両親から演技のDNAが受け継いでいたのですね。
しかし性格はおとなしく、はにかみ屋でした。
そのため、子供の頃は悪ガキたちにからかわれ、いじめられっ子に。
高校はイリノイ州パークリッジのメイン・タウンシップ・ハイスクール・イーストに通いました。
ハリウッドスターと言うと、スポーツの花形や学業優秀だったエピソードがあるもの。
しかし、ハリソン・フォードはスポーツのスター選手でもなく、平均C以上の成績を取ったこともない高校生でした。
高校卒業後は、ウィスコンシン州のリポン大学に進学。
哲学と英文学を専攻しました。
ですが、子供の頃のいじめが災いしてか、鬱の悩まされるようになります。
鬱のカウンセリングで演技を勧められ、大学の「演技コース」受けることに。
もともと、はにかみ屋の性格のハリソン・フォード。
イジメのトラウマで、憂鬱な日々を送っていた彼は、人前に立つことに恐怖を感じたそうです。
しかし、経験を積むうちに、「演技中は自分を見せなくていいのだ」と気づきます。
そう思うと、気が楽になったのでしょうね。
どんどん、演じることにのめり込んでいきました。
ハリソン・フォードは若い頃、売れない俳優だった
ハリソン・フォードと言えば、世界でも指折りの大スター。
2001年には、ギネスブックに、「最も裕福な男性俳優」と認定されたほど。
しかし、ハリソン・フォードの若い頃はあまりパッとした俳優ではありませんでした。
大学の授業で演技に目覚めたハリソン・フォードは、大学を中退後、1965年にハリウッドスターをめざしロサンゼルスへ。
幸運にも、コロンビアと契約をすることができました。
このときの面接のエピソードがあります。
面接担当者が、ハリソン・フォードに「馬に乗れるか」質問をしました。
そのときの彼は『もちろん、はい』と答えました。
さらに面接担当者が「スペイン語を話せますか」と質問します。
彼は『はい』と答えます。
しかし、ハリソン・フォードはどちらも出来なかったのです。
「でも、嘘をつくことはできた。」
”ウソをつくのが俳優の仕事”
そう言わんばかりに、のちのインタビューで彼は話していました。
俳優としての技量はイマイチですが、度胸は満点だったようですね。
そして1966年に『現金作戦』で映画デビュー。
1967年には『鬼警部アイアンサイド』や『ヴァージニアン』でドラマにも出演。
しかし、どれも端役や脇役にとどまります。
高校時代同様、俳優としても、あまりパッとした活躍ができません。
そんなハリソン・フォードは、1968年に「大工」として働くことに。
しかし、「大工」の仕事が、彼に幸運をもたらすことになるのです。
それは、次章で。
ハリソン・フォードは若い頃に「大工」でセレブの人脈を築いていた
Great rundown https://t.co/XsoN4M1fwm
— Harrison Ford (@HarrisonFordLA) June 5, 2023
ロサンゼルスに移ったものの、俳優としてパッとしないハリソン・フォード。
彼にはすでに、妻と幼い息子2人いました。
俳優だけでは、食べていけないため、なんと「大工」を始めます。
ハリソン・フォードは、建築を正式に勉強していたわけでないんです。
なんと、図書館で大工の本を借りて勉強し、空き家で練習を始めます。
「ウソをつくのが俳優の仕事」と言うだけに、本当の大工なってしまいます。
そしてロサンゼルスと言う土地柄らもあって、映画関係者の仕事を請け負うように。
大物スターのジェームズ・コバーンや、当時人気女優だったサリー・ケラーマンなどのリフォームや家具の製作を請け負いました。
また、大物歌手のセルジオ・メンデスのスタジオ改装も手がけています。
そして、「スター誕生!」の脚本家ジョン・グレゴリー・ダンのお抱えの大工として、個人的にも懇意になります。
こういったセレブの仕事を請け負ううちに、映画関係者と人脈ができてきました。
ハリソン・フォードは、大工をしながらも、俳優の道は諦めていませんでした。
”いい役”につけるよう、チャンスをうかがっていたのです。
そして、大工の仕事していたことで、大チャンスがあらわれます。
大工の顧客だった映画プロデューサーのフレッド・ルースの紹介で、ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』(1973年)に出演するとに!
そして、プロデューサーとしてこの作品に参加していた、フランシス・フォード・コッポラともつながります。
コッポラ監督の映画『カンバセーション…盗聴…』(1974年)に出演。
演技だけでなく、度胸も満点のハリソン・フォード。
役の設定など、監督にいろんな意見を出していました。
後にハリウッドをけん引する、この二人の監督は、そんなハリソン・フォードを気に入ります。
この二人の仕事を裏方としても手伝うようになり、いろいろな映画論など交わし合いながら、親交を深めていきました。
そして、ハリソン・フォードは世界的大ヒット映画『スター・ウォーズ』への出演となるのです。
ハリソン・フォードは若い頃の『スター・ウォーズ』ハン・ソロ役で大ブレイク
ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』と言えば、映画史に残る名作にして、大ヒットした作品でです。
ハリソン・フォードは、メインキャストのひとりハン・ソロ役で大ブレイクしました。
ルーカス監督と親交の厚かったハリソン・フォード。
それが縁でハン・ソロ役をゲットしたのかと思いきや、そうではないのです。
当初ルーカス監督は、別の役者を考えていたと言います。
ですが、オーディションでのハリソン・フォードの演技を見た監督は考えを改めます。
「ハン・ソロは、ハリソン・フォードしかいない!」
そう感じ、彼の才能を活かしたいと思ったのです。
ルーカス監督のその判断は、大成功。
ハリソン・フォードは、『スター・ウォーズ/新たなる希望』(1977年)で、ハン・ソロのキャラクターを見事に演じ、映画の大ヒットの貢献しました。
ハリソン・フォードは、ハン・ソロ役で大ブレイク。
一夜のうちに、ハリウッドスターの仲間入りを果たします。
当時無名だった彼がブレイクした理由って何だったのでしょう?
正統派のルークやレイヤ姫と、自分勝手でいい加減、でも人情味が熱いハン・ソロ。
ハリソン・フォードは、そんな役柄を演じ切っていますね。
そしてチューバッカとのコンビが、映画の面白みを広げてくれています。
ハリソン・フォードは、子供の頃は、はにかみ屋。
そして若い頃はいじめられっ子で、人前に立つだけで恐怖を覚えた青年。
しかし、そんな「陰」の経験が俳優としての役だったのかもしれません。
よく「陰」があればこそ、「陽」があると言われます。
子供の頃に経験したつらさは、演技に目覚めた彼を魅力を引き立たせ、大ブレイクにつながったと言えるでしょう。
ハリソン・フォードの若い頃まとめ
・ハリソン・フォードは、若い頃はいじめられっ子だった!
・若い頃は、俳優としてパッとしなかった。
・大工の頃の人脈がで、大スターの扉が開いた!
・スター・ウォーズのハン・ソロ役で大ブレイクし、ハリウッドセレブの仲間入り。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また!
▼こちらもご覧ください▼
ハリソン・フォードの妻との結婚生活をのぞき見!円満の秘訣とは?
コメント